高橋竹山

 明治43年(1910)6月、青森県東津軽郡中平内村(現・平内町)字小湊で生まれる。 本名定蔵。幼いころ麻疹をこじらせ半ば失明する。近在のボサマから三味線と唄を習って東北近県を門付けして歩いた。 昭和19年(1944)、青森県立八戸盲唖学校に入学し、鍼灸・マッサージの免状を取得。戦後は「津軽民謡の神様」と言われた成田雲竹の伴奏者として各地を興行、竹山を名乗る。この間、「りんご節」「鰺ヶ沢甚句」「十三の砂山」等、数々の津軽民謡を新たに三味線曲として編曲した。 昭和39年に独立、津軽三味線の独奏という芸域を切り開き、全国に竹山ブームを巻き起こす。  昭和50年、第9回吉川英治文化賞、第12回点字毎日文化賞を受賞。昭和58年には勲四等瑞宝章を受ける。 平成10年(1998)2月5日、喉頭ガンのため死去。戒名「風雪院調絃竹山居士」。
 

二代目 高橋竹山

 東京江戸川生まれ。新潟県糸魚川市在住。11才から三味線の稽古を始め、初代のレコードを聴いたのがきっかけで、18才で竹山の内弟子となる。成田雲竹(うんちく)の津軽民謡の歌唱も師から学び、高橋竹与(ちくよ)の名で師と共に舞台に立つ。内弟子生活6年を経て1979年自立。その後も師について国内外で演奏。のべ25年行動を共にした。1995年、アルパム「津軽三味線とその試み」を発表。1997年「高橋竹山」襲名。基本を大切にしながら様々なジャンルの演奏家たちと共演して、独自の音楽表現を模索し続ける。

高橋哲子|

 青森県東津軽郡平内町在住。子供の頃より津軽の唄や三味線を耳にして育つ。
小学校教員として勤めたのち、眼の不自由な祖父母の世話をしながら津軽民謡を学び始めた。祖父、竹山が亡くなるまでの晩年、いつも傍にいてサポートを続ける。民謡団体「竹伸会(ちくしんかい)」メンバー。津軽民謡の歌い手としても活動。その歌唱力を支持する者が多い。


西川洋子| 最初の弟子

 青森市在住。1961年、弟子として竹山に入門。1965年、高橋竹山門下「西川竹奴(ちくやっこ)」、1969年「西川竹苑(ちくえん)」となり、1976年「高橋竹苑」となる。地元青森にて、テレビ、ラジオ等の出演者として「西川洋子」の名で活躍。1994年、青森市文化団体協議会文化功労賞、1998年、青森市教育文化顕彰受賞。青森市で「正調民謡の店 甚太古(じんたこ)」を長年営み、今も日々、その名調子で師竹山を弾き、語り続ける。
*「甚太古」は2019年12月30日をもって68年続いた営業を終了しました。


八戸竹清(ちくせい)| 弟子

 青森県東津軽郡平内町在住。弟子として竹山に学びつつ、本業であったタクシー運転手として竹山を方々へ運んだ。日常でも竹山との交流が深く、夜は呑み仲間として、来る日も来る日も酒を酌み交わす。師が亡くなるまで親交は続いた。
 民謡団体「竹伸会」主宰。竹山の地元、平内町で今も後進の育成に力を尽くしている。
*八戸さんは2019年8月17日に永眠されました。享年82歳。

高橋栄山(えいざん)| 弟子

 青森市出身、兵庫県神戸市在住。1965年、竹山の弟子となる。1971年、プロの三味線奏者として活動を始めた。1975年、師の薦めで青森市から神戸市に活動の拠点を移す。1999年、南アフリカ共和国日本大使館より招かれ、公演。2002年、在クウェイト大使館主催の"Japan Year '02"に招待され、テレビ出演やイスラム博物館での公演が絶賛される。弟子も多く、関西にて後進の育成に意欲を注ぐ。


初代 須藤雲栄(くもえい)| 民謡歌手

 青森県黒石市出身、神戸市在住。1959年、津軽民謡の大家、成田雲竹(うんちく)に弟子入り。1965年、日本民謡協会主催の全国大会で「津軽あいや節」を唄い日本一となる。文部大臣賞受賞。1968~75年、初代竹山と組んで、労音全国公演に出演。1975年、夫、高橋栄山とともに青森市から神戸市に活動の拠点を移す。現在も津軽民謡の後進の育成に力を尽くしている。


高橋竹童(ちくどう)| 最後の内弟子

 旧西蒲原郡月潟村(現在新潟市)出身。横浜在住。1979年、父の影響で9歳より津軽三味線を始め、竹山の直弟子、高橋竹栄(ちくえい)に入門。すぐに頭角を現し、翌1980年には新潟市音楽文化会館で初舞台を踏む。1989年、さらに芸を磨くため、19歳で竹山の内弟子となり、その後、師の全国公演に同行、演奏する。貪欲に技術を磨き続け、多くの舞台を踏むとともに後進の育成にも意欲的に取り組んでいる。


大西功一(監督、製作、撮影、編集)

 1965年、大阪生まれ。大阪芸術大学在学中よりテレビ報道カメラマンのアシスタントにつく。1988年、学友らと、消え行く町を背景にギター流しを追ったドキュメンタリー「河内遊侠伝」が卒業制作学科賞。同年上京、映像プロダクションへ。1991年、退社後、歌手 高田渡を象徴的役柄に配し、映画「吉祥寺夢影(きちじょうじむえい)」を製作。1995年、北海道函館を舞台に、前作についで高田渡を配し、「とどかずの町で」を発表。他にテレビ番組、ミュージックビデオ、DVD作品等、多ジャンルの映像を手掛ける。16年ぶりの映画、2011年完成の「スケッチ・オブ・ミャーク」がロカルノ国際映画祭(スイス)批評家週間部門にてグランプリに次ぐ「審査員スペシャルメンション2011」獲得。 ヒットする。


企画・製作大西功一映像事務所  製作・プロデューサー大西功一
共同プロデューサー明山遼  音楽パスカル・プランティンガ 
題字 | 間山陵行  タイトルCG | 嶋津穂高
出演 | 初代 高橋竹山、二代目 高橋竹山、高橋哲子、西川洋子、八戸竹清、
高橋栄山、須藤雲栄、高橋竹童  他
特別協賛|青森放送株式会社、宗教法人松緑神道大和山、タクミホーム株式会社、
田澤昭吾、竹勇会、藤田葉子、謡樂堂
配給|太秦  デザイン|なりたいつか © 2018 Koichi Onishi
2018|日本|104分|DCP|モノクロ・カラー|ドキュメンタリー



  挿入曲:
「即興曲 岩木」三味線 |  初代 高橋竹山  /  「名無し三味線」三味線 | 西川洋子

「津軽じょんから節 前弾き」 三味線 | 初代 高橋竹山  /  「数え世の中節」 唄 | 雪田みや
  無題(宮野沢盆踊り唄 替え唄) 唄 | 外崎タイ  /  
「弥三郎節」 唄 | 西川洋子 編曲 | Pascal Plantinga

「Nagai Namida No Koe」 声 | 高橋ナヨ  作曲・編曲 | Pascal Plantinga
「津軽追分( 江差追分 )」 尺八 | 初代 高橋竹山
「津軽じょんから節」 唄 | 須藤雲栄  三味線 | 初代 高橋竹山 太鼓 | 西川洋子 

「よされ節( 新節 )」 唄 | 工藤竹風 三味線 | 初代 高橋竹山
  題不明(山伏の横笛) 笛 | 初代 高橋竹山  /  「じょんから節 ( 中節 )」 三味線 | 初代 高橋竹山
「じょんから節 ( 中節 )」 三味線 | 二代目 高橋竹山
「津軽甚句(どだればち)」 唄 演奏 | 竹伸会  唄 | 高橋哲子 囃子 | 柴田義政

  三味線 | 八戸竹清  岩村竹歩  船橋竹豊志  相坂竹知  太鼓 | 對馬豊吉  高橋竹春
「アリラン変奏曲」 三味線 | 西川洋子  /  「即興曲」 三味線 | 高橋竹童
「津軽三下り」 三味線 | 初代 高橋竹山  /  「南部牛方節」 唄 | 二代目 高橋竹山 ピアノ | 小田朋美
「ねぶた囃子」 笛 | 初代 高橋竹山  /  
「ねぶた囃子」 笛 | 初代 高橋竹山  演奏・囃子 | 平内町、青森市油川の皆さん

「ねぶた囃子」 演奏・囃子 | 青森ねぶたの皆さん  /  無題  三味線 | 初代 高橋竹山
「三味線よされ」 三味線 | 二代目 高橋竹山
「即興曲」 三味線 | 二代目 高橋竹山  /  「即興曲 岩木」 三味線 | 初代 高橋竹山
「Nebuta Breeze Calling」 笛 | 高橋竹山 編曲 | Pascal Plantinga